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ゴーゴーカレーに至る道はまっすぐだが曲がっている

 田町のプールで泳いだあと、品川までカレーを食べに行こうと心に決めた。うららかな陽気が気持ちよいので第一京浜沿いにてくてくと歩いていくことにした。週末はこの辺も人通りがとても少ない。高輪の大木戸跡の手前だったろうか、あるビルの植え込みに由来が書かれていて、建築工事中に出てきた江戸時代の石を植え込みの周りに使っているとある。年代の推測の経緯が割ときちんと書かれていて、結論としてはこの辺にあった藩屋敷の護岸石で、1700年頃のものだとか。300年か、と考える。300年も経てば、ある人間とその取り巻く小さな世界の息吹について、はっきりしたことは何もわからなくなってしまうだろう。

 現代の情報量は江戸時代とは違うかもしれない。デジタル情報は永遠に残っていって、将来、そこから足跡を再現していくことも可能かもしれない。でも僕は別な風にも考えて、300年分の情報量を処理するのは本来、人間の手に余るような気がする。ずいぶん前に読んだキットラーの『グラモフォン・フィルム・タイプライター』 内で引用された小説だったと思うが、時間を遡って音声を再現する蓄音機が出てくる。いわば音声のタイムマシンだが、ゲーテとエッカーマンの実際の会話を再現したりできる。そんな機械でもできれば別だが、世界をそのまま後から再生することはできない。仮にいまこの瞬間の世界を保存できて、あとから何度も再生・検証ができたとしても、あまりにも情報量が多すぎて、真の世界像を把握するためには途方もない時間を要するだろう。だから、テクノロジーの進歩とは無関係に、300年後の人間が、いまの僕たちを振り返って把握するための情報量は、ちょうど僕らが300年前の人間に対して持っているくらいの情報量が適当なんじゃないかと夢想したりする。

 むかしの品川沖だった線路の向こうには高層マンションが建ち並ぶが、300年後には誰々が地上何メートルに住んでいたとかいう碑ができたりするのだろうか。ふと線路脇へ続く横道に、野良猫が下を眺めているのに気がついた。猫の他に誰もいない横道に入ると、猫の足下にひものようなもの見える。近づきながらそれが動くのがわかり、「ずいぶん大きなみみずだなあ」と猫に声をかけた。今日は暑いから、みみずが出てきてアスファルトの熱で苦しんでいるのだと思った。しかし、いくら大型のみみずでもその2倍はあろうかという長さで、更に近よって見ると子供の蛇だった。こんな都心で、猫が蛇を眺めている構図が面白かった。道ばたで蛇を見るなんて、子供の頃以来だ。ちょっとふてぶてしい顔をした猫はしばらく僕の方を見ていたが、また蛇に視線を戻して、ひっかき始めた。蛇はのたうちながら古いマンションの花壇に逃げ込み、猫はそれを追っていった。

 蛇といえば、沖縄で買ったハブ酒を毎晩飲んでいて、飲酒癖が戻りそうな危機に陥っている。強い焼酎で、少量でも酔ってしまう。専門の店で見たところ、本当にハブが入っているのは何万円もするので、注ぎ足し用のハブ源酒(ハブエキス入り)を買った。また、那覇の牧志公設市場に寄ったとき、市場内の食堂で念願の「イラブー(海蛇)料理」があって入りたかったのだが、その店は煙草の煙が蔓延していたので、家族の無言の反対に遭って食べられなかった。蛇に対する忌まわしいイメージは、そのまま「食ってしまえばものすごく身体にいいのでは?」という勝手なイメージに変換される。以前、上野にディープな台湾料理店があって蛇スープを出していたので、風邪を引くたびに食べていた。本場物は知らないが、その店のスープは蛇を思わせるような塊も入ってなく、鶏のスープのようにあっさりしていた。まあ、こんなので元気になるのかといわれれば、医学的効果はあまりないように思う。むしろ、僕のようにアルコールや食べ過ぎがよくない人には逆効果だろう。でもまあ、何というのか、食べるということに対する気合いの問題である。

 昨日、妻の祖母のいる介護施設へお見舞いに行った。ここ数ヶ月、食事をとれなくなった祖母は、めっきり弱っていた。はっきり言って、もう長くはないと誰もが思っている。90歳を超えているが、去年の今頃はまだ元気で頭もしっかりしていた。ひ孫、つまり僕の娘を連れていくと、いつも「なんてかわいいんだろう」と喜んでいた。昨日は誰が話しかけて触れても、かすかにうなづくだけだったが、娘だけには自分から頭をなでようとして、動く方の左腕をゆっくりと動かす。3歳の娘はその手から逃げてしまう。でも、「手を触ってあげて」というと、こわごわとちょんちょんする。すると祖母の口元がゆるむ。そのうち、握手もできた。寝息を立てたので、娘に帰ろうかと促すと「いや。おおばあば見ている」と言って何度も拒んでいた。

 妻と娘はそのまま実家に泊まり、僕はひとりでぶらぶらしている。昼前に起きて、サンドウィッチを食べたきりだ。品川駅に近くなるにつれて人が多くなってきた。さらに蛇について歩きながら考え、ヴァールブルク『蛇儀礼』(岩波文庫)を発売時に買ったまま読んでいないことを思い出す。ヴァールブルクについては、何年か前に田中純『アビ・ヴァールブルク 記憶の迷宮』(青土社)で知っていたから気になって買った。田中純の本は綱島に住んでいた頃、あゆみブックスの本棚で妖しげな存在感を放っていて、それが会社での無為な日々に倦んでいた20代中頃、元住吉の住吉書房で、平積みされた種村季弘『ビンゲンのヒルデガルトの世界』(青土社)を見たときの感覚を呼び覚ました。買ってから気付いたのだが、J・G・バラード(つい先日亡くなった)について、ウェブを検索しているとスタイリッシュな文章が出てきたので前に時々読んでいたのだが、同じ作者だった。ついでに先日、本屋で『東大教師が新入生にすすめる本〈2〉』 (文春新書)などというあざとい本をつい手に取ってしまい、後ろの索引で「久生十蘭」 を調べたところ、田中純准教授が熱く語っていたので、この人には将来もっと妖しい本を期待している。久生十蘭については、ちょっといま気にかかることが色々あるので、そのうち別の項で書くかもしれない。そういえば、前回書いた記事のツァラトゥストラの引用は、蛇と鷲が語るのであった。「創世記」を引き合いに出すまでもなく、永遠の周辺には蛇が這っている。

 品川駅を過ぎ、僕にしてはずいぶん大盛りのカレーを食べた。ようやく食べられた。何とか完食はしたものの、明らかに食べ過ぎなので、今度は高輪プリンスホテルの方から登って、坂を上り下りしながら家まで帰ってきた。そういえば、種村季弘のご子息は銀座でギャラリーを経営されているが、品川と麻布の間で生まれたことが名前の由来だと、どこかで見た覚えがある。家に帰ったら胃もたれがする。胃もたれなんて、前はどんなに食べても感じることはなかったのだが。 
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なんか小説を読んでいるみたいだv-237

そうなんです!
書いているうちに、日記のようで小説のようなそんな文章にしたくなったのです。
嘘ではないけど。
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