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父の死

 3月12日に父が亡くなった。大学教員だった父は、いつも勉強ばかりしていた。子供の頃に一緒に遊んだ記憶は少ない。ごくたまに家族旅行へ行っても、ホテルに一人残って勉強をしていた。近年はロシア語の勉強に情熱を注いでいた。たまに電話で話すと、どれだけロシア語の勉強が進んだかを一方的にまくしたてた後、ついでのように孫は元気かと尋ねた。昨年10月の終わり、大学の講義が終わると倒れ、御茶ノ水の病院へ運ばれた。大腸がんがすでに胆嚢・肝臓・腹膜に転移していた。それでもロシア語の辞書を枕元に置き、気分が良いときは単語を覚えていた。僕の職場が神田なので、ここ数か月は病院でいろいろと父と話すことができた。昔と一緒で、父の一方的な話に辟易することも多く、死の少し前でも腹が立った。昔は喧嘩になったが、弱った父は「ごめんなさい」と素直に引き下がった。最後に話ができたとき「何もしてやれなかったな。ありがとう」と言っていた。そんなことないのにな。父は夢見がちだった。とても実現できそうもない先の目標を立てていた。直前まで自分が死ぬことを信じられなかったのだと思う。一方で、もしかしたら死んでしまうかもしれないと思ったのだろう。子供の頃に亡くなった自分の両親のルーツを話し、僕への心構えを説いた。見舞いに来ることのない人には伝言として、「いまはロシア語をゆっくり勉強できる場所にいるから」と言っていた。葬儀を終え、父のちょっとした言動を思い出すにつれ、それらは生前、時折は煩わしい気持とともに実家で生きている父親の姿に連なっていったのだが、いまは行き先を失っている。それで考え直した。父はやはり、今もどこかでロシア語の勉強をしているのだろう。負けないように頑張るよ。
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テーマ : 日記
ジャンル : 日記

手塚治虫と茨城県の関係

 今日、本屋で手塚治虫の『アドルフに告ぐ』の新装版文庫が並んでいて、何度も読んだ漫画だがつい手に取ってしまった。たまたま読んだページで、主人公の峠草平が、ヒトラー出生に関する秘密文書が無事とわかり、警察で嬉々として自分の出身地を告げるくだりがある。それは「茨城県新治郡土浦町」。昔からの疑問がまた頭をもたげた。僕が茨城県出身だからだが、手塚治虫作品に茨城県の地名(特に土浦市近辺)が頻繁に出てくることが昔から気になっていたのである。手塚治虫自身は、兵庫県宝塚市の育ちで大阪のイメージがある。それが、主人公たちの出身地として、茨城県の地名をわざわざ出してくるのはどうしてなのかずっと不思議だった。
 
 以下、手元に漫画がないので、記憶を頼りにインターネットで調べながら書いているので、間違いがあるときは失礼。また、手塚治虫と茨城県の関係について、詳しい背景などご存じの方は、ぜひ教えてください。

 例えば『ミッドナイト』という漫画では、主人公のミッドナイト(三戸真也)は、茨城県尻軽村出身で、酒乱のヒゲオヤジを捨て家出してきたエピソードが出てくる。尻軽村というのは架空の地名だろうが、物語の後半になってやや唐突な展開があって、実の肉親はヒゲオヤジではなくて、ブラジルの富豪「土浦」家という秘密が語られていた。

 また、幕末物の傑作『陽だまりの樹』では、主人公の伊武谷万次郎が常陸国府中藩(現・石岡市)の藩士(江戸詰)であり、物語中、石岡市近くにあるという永沢村がその領地として出てくる。『陽だまりの樹』は、手塚治虫の先祖がもう一人の主人公として描かれており、曾祖父である手塚良仙(息子)は史実としても府中藩の侍医だった。西南戦争の出征途中で亡くなった、と物語の終わりで書かれていたが、今回インターネットで調べると、その墓は石岡市の清涼寺にあるという。

 『陽だまりの樹』から想像すると、手塚治虫は自分のルーツとして、茨城県の石岡市近辺(土浦市は石岡市と隣接)を意識していたのだろうか。また、今回調べてわかったが、岡野玲子さんという漫画家がいて、彼女は土浦市出身だが、手塚治虫の息子である手塚眞さんと結婚しているそうだ。結婚年までわからなかったので、義理の娘の出身地を作品のネタに出してみたのか、あるいはご両人にもともと地元のご縁があったのか、そんな可能性もあるのだろうか。

テーマ : マンガ
ジャンル : 本・雑誌

トルコのクルド人問題に思う

 近頃仕事が忙しくて、またご無沙汰でした。

 さて、最近はトルコのクルド人問題がクローズアップされてますね。昨日、NHKのシルクロードを見ていて、ヨーロッパからトルコに入ったときの、けだるいような空気と点在するモスクに、強い異国情緒を覚えた感覚を10年ぶりに思い出しました。

 僕は10年前、1ヶ月半ほどかけてトルコを1周したのです。そのとき、クルド人が住民のほとんどを占めるイラク国境の街もいくつか行きました。PKKの噂に若干警戒心を持ちながら、トルコ式麻雀をしている気さくな人達とだべっていて、「クルド人地区は危ないらしいね」なんて話したら、「俺たちみんなクルド人だよ」と笑いながら言われたりしました。

 クルド語を学校で教えていることを禁止されていること、それでもクルド人はトルコ人より子供を作るから、今にクルド人の方が多くなる、とか切々とした訴えを聞いたりしました。

 それでも、10年前は何となくのんきな感じがありました。若いトルコ兵達も旅行か学生気分で、軍服姿でチャイをおごってもらったり、バスの中で一緒に陽気な歌を歌ったり。昨日のテレビではもっと切迫した対立感がありましたね。
 
 旅に過ごした日々もいつのまにか遠くになってしまいました。いつか、またふらりと旅に出るかもしれません。

テーマ : 旅の思い出
ジャンル : 旅行

自由という名の雨を降らせよう

 時々「英語を勉強しなきゃ」っていう発作が出て、何年か前にMDを買いましたが、MDが壊れてからはさぼりっぱなしでした。でも時代はMDからipodに!

 そんなわけで先月ipod nanoを購入して、また英語の勉強をしています。ipodいいですね。数日間、オモチャをいじる子供のように夢中になってしまいました。とっても小さくて薄いので、通勤時間や昼休みに聞いています。英語のmp3ファイルは、インターネットでいくらでも転がっていますしね。学生の頃、高価なテープ教材を買っていたのは何だったのでしょう?

 なかでも気に入ってるのが、キング牧師の演説です。アメリカの演説ベスト100とかいうサイト(ToP 100 Speeches:American Rhetoric)で入手したのですが、1位がキング牧師の演説で、2位がケネディの就任演説。実家にありましたよ、ケネディの演説テープ教材。。。

 キング牧師の演説は、英語の勉強というより、音楽を聴いている気分になります。低音の魅力ある声と繰り返しのリズム、演説の進行とともに次第に高まっていく高揚感、カリスマ的な演説とはこういうのをいうのでしょう。仮に英語に興味がなくてもその迫力は聞くに値すると思います。何だか元気になります。

 演説中に言及される子供達が、父の暗殺後どうしているのか気になって少し検索したら、こんな記事を見つけました。トラックバックというのがよくわからないので、試しにやってみます。この中で紹介されているキング牧師の手紙、この前書いたデリダの言説を思い出しました。
 
 さて、演説はゆっくりなペースで、英語はとても聞き取りやすいけれども、後でテクストを見て、自分の英語力にガックシしました。

 Let freedom ring~自由の鐘を鳴らそうではないか~というのを、Let freedom rainという風に聞いていたのでした。詩的な表現でいいなあ、と思ったのですけれど。。

 国中の、あらゆる丘、あらゆる山々に、自由の雨を降りそそごうではありませんか!ついに自由だ!ついに自由だ!感謝します、全能の神よ!我々はついに自由です!

テーマ : 英語
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