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山野井泰史さん

 恐らく、原始からの記憶ゆえに、真に尊敬の対象となるのは、自然に打ち克とうと果敢に挑んでいく人間なのではないだろうかと思う。山野井泰史さんのことは、以前からとても気になっている。少し前に奥多摩のご自宅近くで熊に襲われたというニュースを聞いて心配していたが、元気そうな写真が日本経済新聞に掲載されていたのでうれしくなった。夕刊の「人間発見」というシリーズで、先週は山野井さんが取り上げられていたのだが、切り抜いて保存している。ときどき日経はこういうのがあるから、あなどれない。

 山野井泰史さんは有名な方だから紹介するまでもないかもしれないが、アルパイン・スタイルという、シンプルで過酷な登山スタイル中心で未踏破のルートを開拓してきた世界的クライマーだ。酸素ボンベやシェルパを使わず、なるべく自然に近いスタイルで高山や断崖絶壁に挑んでいく。

 僕はそういうシンプルな登山家の話にすごく惹かれてしまう。やはりアルパイン・スタイルで有名なメスナーの番組がやっているときなども見入ってしまう。また、80年ほど前にエベレストの頂上付近で消息を絶ったマロリー。1999年に発見された遺体の写真には衝撃を受けた(『そして謎は残った』文藝春秋)。うつぶせに倒れたマロリーは、極寒の自然状況で、漂白されたような異様な美しさがあった。それは、自然に打ち克とうとした人間が力尽き、自然の祝福を受けたかのようだった。また、別のホームページで書いた河口慧海の『チベット旅行記』も、シンプルな装備でヒマラヤの山々を踏破していくところが印象的だった。

 シンプルな登山であればあるほど惹かれていくのは、自然環境との対峙という、生物の根元課題がより際だつからだろうか。5000年前にアルプスの3000メートルを目指したアイスマンのことを考えたりすると、ずっと昔に読んだヘミングウェイの「キリマンジャロの雪」の冒頭を思い出す。キリマンジャロの頂上に豹だか獅子だか忘れたが、その氷づけになった死体がある。豹だか獅子がなぜそこを目指したのかは誰も知らない。そんなプロローグが小説の筋と関係なく書いてある。

 僕は何も語る資格がないので、山野井さんに語ってもらおう。
「限界ぎりぎりの登はんをしているとき、生きている自分をひしひしと感じられるのです」
「何日間もたった一人で大岩壁と格闘するわけです。たとえトラブルがあっても、救いを求めることは絶対にできません」
「ある日、山で突然、死が訪れても覚悟ができています。どんな悲惨な死に方をしても悲しんでほしくはありません」
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