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生命の力

 1月7日、第2子となる息子が無事誕生した。男親故か、生まれてきた姿を見てようやく実感が出てきた。そして、本当に不思議なのだけれども、普段のストレスと憂慮で積み重なった心の中のもやもやが一気に吹き飛び、冬晴れの青い空の下、鋭く肌を刺しつつも身体に取り込まれていく新鮮で冷たい大気のような清涼な気分になった。その気分が残っているうちに文章に残したくて、1年3ヶ月ぶりにブログを書いている。昨年9月に僕は不惑の年を迎え、自らの未熟さとは裏腹に馬齢ばかり重ねてしまったことに、諦念と悔悟の混じった心境を確認するばかりだった。しかし、生まれたばかりの生命の力は、そんな魂を叱咤するでもなくエネルギーを降り注いでくれた。黄昏時、広大な海原を黄金に照らす太陽が、貧しい漁師の小さな舟も同じように黄金に照らした偉大さと公平さにニーチェが涙したように。子供が生まれる前日、ある年長の方と仕事がらみでたまたま飲む機会があったのだが、不思議と趣味が合って哲学や宗教の話をするなかで、ずっとその方面の書物から離れていたことを痛感し、今年はまた思想に触れていきたいと思ったばかりだった。自分の都合の良い解釈かもしれないが、子供達の幸福のために全力を尽くすと同時に、己の人生に後悔を残さないために生まれ変わった気持ちで全力を尽くしていきたいと思う。
 かつて苦労して読破した『存在と時間』でハイデガーは謂う、「現存在が、良心においておのれ自身を呼ぶのである(第二章57節)」。日常に埋没して頽落した自己について、死すべき人間の運命を直視した本来性を取り戻すのは、心の奥底からの呼びかけであった。この呼び声は、カフカの『掟の門前』で、真理(神と言い換えてもいい)に至る道につながるであろう門前に立ちながら、門番に阻まれて無為に人生の終わりまで過ごしてしまう男が聴くものと同一なのだろうか。そもそも、どうしてこの男が門前にやってこなければならなかったのかという問いに対して、デリダの回答は「それがかつて現在であったことのない過去においてある決定的な呼びかけを聴いてしまった」(デリダ『カフカ論 掟の門前を巡って』(朝日出版社)の訳者付記より)。更なる連想だが、ボルヘス『続審問』(岩波文庫)の中のホーソン論でボルヘスは「『ウェイクフィールド』はフランツ・カフカを予表している。(中略)。すぐれた作家は自分の先駆者達を創る」と言う。ホーソンの短編「ウェイクフィールド」で、ウェイクフィールドはある日、特に理由もなく妻のもとを失踪し、自分の家の隣町の貸し部屋から自分の家と妻を眺める生活を20年以上も続けた。とっくに死んだものと思われていたある日、ウェイクフィールドはひょっこり妻の前に現れて良き夫として暮らしたということだ。ウェイクフィールドを駆り立てたものはどんな呼び声だったのだろうか。物語の結びでホーソンは「人はちょっと脇道に逸れると、自分の場所を永遠に失うという恐ろしい危険に身を晒し、ウェークフィールド同様、いわば、『宇宙の棄てられし者』になりかねない」(『ホーソン短編小説集』岩波文庫)と締めくくる。ウェイクフィールドは、カフカの『アメリカ(失踪者)』に対してベンヤミンが批評したように、「世界劇場」の舞台に立っている。神の創る世界の中で、与えられた運命を演じる役者にすぎず、そこから逸脱しようとすれば恐ろしい罰が与えられるのだろう。
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